日付 Ski S”ki 独り言
2018/8/21
連日の猛暑も峠を越し、少し秋を感じる今日この頃です。皆様は夏休みやお盆をどのように過ごされましか?


館長が他界して約三か月半、家族は館長の自宅にある遺骨に手を合わせ静かな初盆(新盆)を過ごしました。


さて、またもや長らくお待たせいたしました「独り言ブログ」の更新、今回はお知らせを中心にお届けします。


@「来シーズンもスキーの自然館は営業いたします。」

7月31日 館長の「美人妻」とわたくし館長の弟「ずやさん」の二人で、
恐羅漢スノーパークを経営している株式会社恐羅漢の事務所を訪問し、
正式に社長に対して来シーズンもレンタル自然館の営業を続けたい旨の意思表示をしました。

社長さんには快諾をいただき、今までどおり、恐羅漢スノーパーク内にあるテナントのレンタル店として営業予定です。(今年は雪が少ないかも?正直、少し不安!)

今後とも懲りないクリックをいただいている皆様には、ご愛顧賜りますようよろしくお願いします。


A「ピステHPからの情報」

館長と付き合いの深かったスキープロショップ・ピステ広島の社長さん(S氏)が、館長のことについてブログ掲載されています。

スキープロショップ ピステ広島のホームページ http://www.piste.ws/ にアクセスして
「pisteスタッフBlog」の中をスクロールし、
7月7日掲載「自然館館長 佐々木さん・・・心の中に永遠に!!」と
8月9日掲載「自然館館長 佐々木さんの初盆を迎えます。」をご覧ください。

私は、S氏の館長を慕う気持ちに思わず目頭が熱くなりました。
勿論、ブログだけでなくホームページ全体をご覧いただき、ピステのお店情報もご覧くださいね。


B「祭壇参拝者へのお礼」

初盆を迎える館長に対してお盆前後に、川本町の鮎の自然館に設置してある祭壇へお参りいただいた方々に心よりお礼申し上げます。

きっと館長も川本町の空で喜んでおります。

恐羅漢ベイシックスキークラブの会長(H氏)様やピステの社長(S氏)様をはじめ、鮎釣り関係者やスキー関係者の方々でお参りくださいました皆様に於かれましては、
暑い中、遠路はるばる誠にありがとうございました。


以上、今回は3点のお知らせをさせていただきましたが、「鮎の自然館・釣れ釣"れ独り言」の方にも別のお知らせを掲載しておりますので、
ご覧いただければ幸いです。
 
 2018/7/29 「館長の生い立ち」


館長は、1954年9月5日に広島県山県郡安芸太田町(旧加計町)で生を受け、国家公務員であった父と明るく気さくで優しい母との間に3人兄弟(長男・次男・長女)の長男として育った。


館長は、勉強もできスポーツも得意で、まさに文武両道の人であったが、私は勉強嫌い、スポーツは苦手で、しかも、真面目な館長とは違いメチャメチャやんちゃな悪ガキであった。


そんな館長が中学生ころ、当時はやっていたアメリカン・フォーク・ミュージック(特にPPM)に影響されてギターを弾き始めた。


何をやっても館長に勝てない私は、何か一つだけでも兄に勝るものを見つけたかったが、私はそれをギターに見出した。


しかし、館長がギターの手ほどきなど私にしてくれたことは一度もなく、私は当時の和製フォークソングに魂を奪われ、独学で明けても暮れてもギターを弾いて歌った。


結局、館長は国立高専時代にギターを弾かなくなった(彼は私ほど歌がうまくない!)と記憶しているが、私は今も継続しており、もう半世紀近くギターの弾き語りを続けている。


閑話休題


館長はスポーツ全般(特に球技)が得意で、格闘技系以外は何でも上手であった。(彼は平和主義者なので格闘技に興味がない。)


国立高専時代にはサッカー部に所属し、高専大会で岩手県の一関市まで遠征をしたのを記憶している。


公務員になってからの館長は、硬式テニスを始め、様々な試合に出場し、アマチュアランキングを持っていた。(確か?)


この頃から並行して冬場のスキーが本格化し、館長の自宅に行くと玄関には沢山のスキー板が並び、テレビの横にはプロスキーヤーのレッスンビデオ(VHS)が並んでいた。


彼曰く、「スポーツは遊びでしない。」「真剣に極めるものだ。」と言っていたが、私はスルーした!


しかし、友人たちと草野球チームを作り、ピッチャーをしていた時の館長は、私の眼には野球を楽しんでしるように映り、極めようとはしていなかったと思う。

ここらへんが、ようわからん?(人間だもの・・か?)


結局、館長は身長が低く体格には恵まれなかったせいか、最後に残ったスポーツはスキーだったのであろう。


一方、私が今でも腑に落ちないのが、「鮎釣り」である。

彼が何故「鮎釣り」にハマったのか今でも知らない。


実は、私たちの父は、1970年代に太田川上流の鮎釣り名人であった。

当時の実家の冷凍庫には溢れんばかりの鮎があり、父は専用の冷凍庫を確保して鮎をストックしていたが、

家族はだれ一人として鮎を食べようとせず、遂には冷凍焼けして処分をしていたような記憶がある。
(特に母は川魚が苦手であった。)


しかも、私たちの父は59歳で他界し、館長はテニスとスキーに没頭中の時期で、到底父から鮎釣りの面白さと奥深さを伝授されたなど、有り得ない話しである。


果たして、館長が鮎釣りにハマったきっかけは何であったのかは、私にとっては永遠の謎である?


とにも、かくにも、

約3年前のある日突然、「ウイル性劇症型心筋炎」という稀有な病魔に襲われた館長は、
本人の「70歳までは自然館で頑張りたかった。」という願いも空しく永遠の旅立ちをしたが、
約3年間もいつ心臓が止まるかわからない死の恐怖と闘いながら、
薬の副作用と体のだるさに耐え、
何度も折れそうになった心を奮い立たせて、最後の最後まで頑張り続けた。

遂には延命措置までも拒否して逝ってしまった館長は、「最後まで生き方のブレない人」であり、まさに「生き様は死に様」「死に様は生き様」の人であったと私は確信している。


やはり、根性のない私にとっては、到底越えることのできない兄であった。



幼い頃の館長(左)と私(右)



ギターを弾いていた頃の館長



高専時代のサッカーの試合後、自らゴミ箱にゴールするお茶目な館長



草野球チームでピッチャーをしていた頃



熱心にスキーレッスンをする館長(オレンジのウエアー)



鮎がよく取れていた頃の館長


【おまけ画像】


館長は自転車ツーリングもしていたらしく、これは鹿児島からの帰りの阿蘇山ではあるまいか?


持病が痔病の私にとっては、イボが炸裂する自転車ツーリングなど宇宙的に興味がない!!!!!


【蛇足】


館長が他界して約2週間後、ある東京のテレビ番組制作会社から電話があった。


「こちらは、東京の「所さんの笑ってコラえて!」という番組の制作スタッフです。」「インターネットでHPを拝見しましたが、ついては「鮎の自然館」を取材させていただけませんか?」とのことであった。


私が「館長が他界して鮎の自然館は実質上閉館状態です。」と取材をお断りしたら、あっさりと先方は電話を切ってしまった。

「私が、代行して取材を受ければよかったかなあ?」と少し悔やんだりもしたが、もう後の祭り!


すると、その夜、空から館長の声が聞こえた。「ワシは取材OK!!!」と・・・ 

  2018/7/26   「館長の祭壇設置のご案内」


懲りないクリックをいただいている皆様!


長らくお待たせいたしました。


恐縮ながら、約1ヶ月ぶりの更新です。


まずは、この度の西日本豪雨に際しまして
被災された皆様へ心よりお見舞い申し上げます。

また、連日の猛暑の中、懲りないクリックを頂いた皆様へ、
暑中お見舞い申し上げます。


幸いにも館長の自宅(広島市安佐南区)周辺は何も被害がなく、
私「ずやさん」の自宅(広島市東区)周辺も大した被害はありませんでした。

しかし、近隣の被災地では甚大な被害が発生し、
現在も自衛隊の方やボランティアの方々が
猛暑の中を活動されているのを見ると頭が下がる思いで、
一日も早い復旧と復興を祈るばかりです。


さて、ここで皆様へご案内をさせていただきます。

かねてから旅立った館長へ
「お線香をあげたい。」「手を合わせたい。」との
ご希望を持たれている皆様がいらっしゃるとお聞きしておりましたので、
この度、島根県邑智郡川本町に館長の祭壇を設置しました。

設置場所は、
川本町の「鮎の自然館」の事務所(ログハウス)と
作業場(プレハブハウス)の間で、
小さな冷蔵庫のようなボックス(下写真参照)の中に簡易的な祭壇を作り、
遺影や位牌、分骨した遺骨、お線香立て等を入れてあります。


ログハウス側の軒下(屋外)に設置し、
扉に「鮎の自然館 館長 佐々木敏彦」と書いてあります。


施錠はしておらず、
ドアの端についているゴムバンドを外すと簡単に開きます。
ボックス内には、お線香とライターも準備してあります。

先月末に家族のみで、館長の満中陰法要を済ませ、
暫くして祭壇の設置に取り掛かりましたが、
この度の災害や諸々の事情から祭壇設置のご案内を見合わせた結果、
館長が他界してから約2ヶ月半も経過してからの
お知らせになったことをご容赦ください。


なお、祭壇にお参りいただく皆様には、
お供え物等を祭壇のあるボックス内へ置かれないようにお願いします。
(施錠もなく、猛暑の為)


川本町の場所については、
HP「鮎の自然館」の左側目次の下から
2番目「自然館位置図」を参考としてください。
(住所も明記されています。)
祭壇の設置期間は、9月末頃までとします。


その後、祭壇は「スキーの自然館」のオープン前(11月頃)に、
スキーレンタル店のバックルームに
スキーシーズン終了まで設置し、
希望される方には、お参りをいただこうかと思っております。


以上、懲りないクリックをいただいている
懲りない皆様には、さんざん待たせた挙句、
お願いばかりで大変恐縮ですが、宜しくお願いいたします。



川本町の「鮎の自然館」全景



祭壇の入っているボックス(錨が立て掛けてある)



ボックス全景



ボックスのサイドのゴムバンドとフック



ボックス内の祭壇
 2018/6/21  [館長はなぜ早く旅立ったのか?]


館長の美人妻は、館長は過労死だと思っているようである。

館長の妹も「敏彦兄ちゃんは働き過ぎだったと思う。」と言っていた。

彼は、47歳で公務員を退職し自分の好きな道を選び、冬はスキー・夏には鮎釣りで生計を立てることを決め、頑張っているのだと私は思っていた。

しかし、実は彼は会社員という顔も、もっていたのである。

仕事も趣味もとことん極める人で、何事にもいい加減に取り組めない性格であったことはわかっていたが、怠け者の私には信じがたい環境である。
美人妻によると、鮎やスキーのシーズンには、夜遅く帰宅して明け方には出かけ、シーズンオフでも何かしらと動き回り、その間でも事務仕事を行っていたとのことである。
(自宅ではパソコンの前にいるか、鮎の網を編んでいる姿しか印象がないとも言っている。)

時々、館長の隣家に住む母を訪ねる妹が「お兄ちゃんは働き過ぎじゃないの?」と尋ねると「仕事が面白くてたまらん!」と言っていたそうである。

寝る間も惜しんで働くとはまさにこのこと、何度も言うが、怠け者の私には宇宙的に信じがたい話である。

館長は若い時から煙草も酒もやらない人で、体に悪いことは嫌いな人であった。入浴後にはたっぷりと時間をかけてストレッチをしてから寝ていたそうである。

しかし、見えない疲労や無理がたまるとアクシデントや病魔が隙を狙ってくる。

4年前の12月(心筋炎を発病する前の年の冬)には恐羅漢でレンタル店の事前準備中にアキレス腱を切り入院。
退院すればギプスも取れていないのに恐羅漢へ直行。
そのあくる年の6月には川本町の鮎の自然館で仕事中に体調を崩し、胆のう炎で入院した。 

まさに負の連鎖、マイナススパイラルである。

悪運はそれだけにはとどまらず、胆のう炎の手術をしている際に心臓の波形が悪化して、すぐに救急車で転院となった。
私が駆け付けた時には、既に心肺停止状態!

胆のう炎だけではなく、もっと危険な病気であるウィルス性劇症型心筋炎を併発していると医者が言ったので、私は覚悟を決めた。

三日間の意識不明が続く、人工的な機器で心拍と呼吸と血液循環が行われているだけで、この状態が5日間続くと蘇生の可能性はゼロに近いとも言われた。

しかし、しかし、である。館長は「嵐を呼ぶ男」ならぬ「ミラクルを呼ぶ男」であった。

心肺停止から3日目に自発心拍が開始したのである。
まったくしぶとい男だ。

それから以後は、みなさんご存じのとおりの経過をたどるわけだが、
美人妻や妹が言うように私たち家族は、働き過ぎが命を縮めたのではないかと思わずにはいられない。

館長の友人の吉岡氏は、「佐々木さんは、人の1.5倍人生を楽しんだ人で、年齢を1.5倍すれば100歳ぐらいです。大往生の人生だったと思いますよ。」と言ってくれた。
まったく私も同感である。

館長の努力と人徳がそうさせるのか、前回の旅立ちに関するご挨拶文を掲載してからは、HPのアクセス数が急激に上がり、彼を偲んでいただいている皆さんが多いことに驚いている日々である。

私がそれを館長に報告するため、夜空に向かって話しかけても、館長の返事が聞こえてこないのが寂しくてたまらない。

―人生は楽しく、心は丸く―

次回は、[館長の生い立ち]と銘打って私と館長の思い出話をつぶやきたい。お楽しみに!


足のギプスをビニールで巻きブーツの手入れをする館長(2014年12月)


川本の川面を見つめて思いにふける館長(2017年9月)

(蛇足)「ワシのハゲ頭を載せるな!」空から館長の声が聞こえた。
 2018/6/11 長らくご無沙汰して、皆様にご心配をおけしましたことを深くお詫びいたします。

実は私こと館長佐々木敏彦は、去る5月8日の夜に「終わりのない一人旅」へ出発いたしました。
目的地は、極楽浄土です。

三年前の6月に突然、私の心臓を襲ったウィルス性劇症型心筋炎は、私の体力を徐々に奪い、今年の1月頃からは、とうとう自分で歩くことができない状態となりました。

美人妻や妹に毎日付き添ってもらい、長い入院生活の中では、体調のいい日も少しはありましたが、5月の大型連休の頃には、7度目の心筋炎が襲来し、ついに私の心臓は止まってしまいました。

しかし、歌の文句ではありませんが「私は死んでいません。」皆様の心の中に私のことが少しでも存在し、スキーシーズンや鮎釣りシーズンの度に思い出していただければ、私は雲の上で生き続けています。

私が旅立って、約1ヶ月も経過しているのに何も知らせず、HPでもお知らせしなかったことをどうかお許しください。

私のわがままで、家族には「葬儀は家族のみで行い、誰にも知らせてはいけない。」と常々言っていたので、家族はこれを守ったのだと思います。
私のことを心配してくださった、懲りない皆様の懲りないクリックに対して、音信不通の挙句こんな形でお別れとなりましたことを、心よりお詫びしますとともに、私のわがままをご容赦ください。(合掌)

「人生は楽しく、心は丸く。」

実弟代筆


追伸、今後の自然館のホームページのブログ(独り言)は、引き続き私の弟(ペンネーム ずやさん)が更新する予定です。
館長ほどの頻度でのUPは期待できませんが、“ずやさん”が館長佐々木敏彦について、おもしろくつぶやくと思いますので「懲りないあなたの懲りないクリック」をお持ちしています。

最後に館長佐々木敏彦に対する、今までのご厚情に深く感謝いたしますとともに、皆様のご健勝とご多幸をお祈りいたしております。
6月11日 実弟 佐々木和也

次回をお楽しみに!

 
 しばらくの間、お休みします。

2018/1/14
晴れ
笑顔バーン
勘違いバーン
素敵なバーンが広がっています。



2018/1/12
いい雪が積もってますよ。
明日は間違いなく絶好のシュチュエーションのはず。
滑るなら、今でしょ!!
パウダー食われちゃいますよ。



 2018/1/11
いやー 降ってます。
ブナサカゲレンデの第一リフト乗り場付近で70cm程度
腰のあたりまで新設があるそうで、リフトが回せない。
懸命の除雪作業が続いています。


 
2018/1/9
朝から積もりそうな雪が降り続いています。
ゲレンデが心もとなくなった頃また雪が降る。
誰かさんのようです。
しぶといです。



どんどん降ってくれますように。

2018/1/5
怪しくなってきました。
あなたが、
じゃなくてゲレンデが。



気温が高くならないので、なんとかこの週末は持つでしょうが、一降りも二降りも欲しいところです。
来週半ばの寒気に期待です。

2018/1/3
スーパーの初売りに行った。
カートを持って歩いてみた。
「なんだ、いくらでもあるけるじゃないか」

という夢を見た。

良い年でありますように

H29-12月の独り言はこちらです

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